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協会作成資料

輝いて生きる(みちしるべ73より抜粋)

1 輝いて生きる

人はみんな「幸せに生きたい」と願っています。

ところが、「幸せを実感する時」は、一人ひとりみな同じとは限りません。その人の生い立ちや生活環境、さらには心の持ち方によっても違います。大きな病を患いながら、それでも生きることに感謝し、自分の可能性を求めて懸命に生き、幸せを実感している人もいれば、何不自由なく健康に生きているように見える人でも生きる目標を見つけられずに幸せを実感できない人もいます。
幸せは、いろいろなことに挑戦し、失敗をしたり成功をしたり、さまざまな体験を積み重ねながら、探していくものではないでしょうか。

自分自身が、ハンセン病で全国ハンセン病療養所入所者協議会のKさんは、その講演の中で、ハンセン病は必ず治るものであり、決して遺伝する病気ではないことなどを話されました。

そして、これまでハンセン病患者は人々の差別と偏見の中で長い間、社会から隔離され、生涯を孤独の中で終わることを余儀なくされ、親の墓参りや兄弟の間のつきあいさえ、思うにまかされなかったこと。

自分の今後の生涯をハンセン病への偏見の解消や、元患者の社会復帰への支援にささげたいとのことでした。さらに、これからの高齢社会の中でマイナスの側面で見られていたハンセン病療養所をプラスの側面に転換するために、高齢者が豊かな交流を体験できる場に開放してはどうかなど建設的な提案をされ、また、自分が積極的に社会にでていき、多くの人々との交わりを深めてきたことなどを話されました。 その話ぶりには、淡々とした中にも生き生きとした輝きがありました。

生きる喜びとは、そのような姿のなかにこそ存在するのではないかと思います。

2 出会いのよろこび

忍足亜希子(おしだりあきこ)さんと妹尾映美子さんのトーク(対談)がありました。女優の忍足さんは、耳と言葉が不自由で手話を交えながら会話され、それを妹尾さんが通訳しながら話をされる。

そんな場面に出会いたくさんの新しい発見がありました。

最初の発見は、二人を会場に迎えた時、歓迎の気持ちを表現するために、両手を上にあげ、大きく振るたくさんの人がいたことです。拍手する人と大きく手を振る人の混じり合った会場となったのです。

会場には、耳の不自由な方も多く来られていて、その人たちにとっては、拍手よりも大きく手を振る方が、はるかによろこびを相手に伝えることができるのだということに気づきました。次に、忍足さんは、「私は女優の忍足であり、耳や言葉の不自由な女優 忍足として紹介して欲しくないし、そのようにみて欲しくない」と話されました。これは、障害を一つの個性とする考えがある中で、障害を表に出して活躍する女優としてではなく、耳や言葉が不自由であることをひとつの個性と見て、あくまで一人の女優としての仕事ぶりをみて欲しい。そのような社会であって欲しいという彼女の願いからでた言葉なのではないでしょうか。

妹尾さんの通訳も工夫されていました。トークを通訳するときには、自分と忍足さんとで微妙に話しぶりを変え、来場者にわかりやすいように配慮されているのです。そこには、大変な努力があったと思います。自分の慣れ親しんだ人間関係の中で生きていると、人はそれなりに安心もするし、心地よいかもしれません。でも、その枠をいったん出て、自分の知らなかった社会に触れたり異なる文化をもった人に出会ったりすることによって、新鮮な刺激や感動を受け、自分のことがよく見えてくることがあります。人が成長していくためには、さまざまな人とよい出会いをすることが大切です。これまで日本の社会は、同一性を重んじる傾向が強かったため、異質なものに対して身構えたり、排除したりして自分たちを守ろうとするところがあり、これらが差別や偏見を生み出す要因の一つになっていると言われます。差別や偏見は、相手に深い傷を負わせるだけでなく、豊かな出会いの機会を閉ざしてしまうことにもなるのです。自分自身の世界をひろげるためにも多様な出会いをすることは意義深いものです。

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