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研究紀要第七輯概要

研究課題
プライバシーの保護
論文名
情報化社会における日米プライバシー制度比較
執筆者
カリフォルニア大学バークレー校大学院博士課程在学 辻 雄一郎
趣旨
個人情報保護法施行後、民間の個人情報取扱事業者は個人情報の開示について悩むところが多く、非開示の措置を取る場合が多い。国民は敏感に反応し、事業者は過剰に対応する。こうした現象は、個人情報の基礎を誤解している点に問題がある。どうしてこのような事態が生じるのか。本論は、個人情報をめぐるいくつかの論点を抜き出して個別に議論している。根底にある主軸は、国民が個人情報保護を理解する際、単なる法律の文言の文理的解釈ではなく、憲法学はプライバシーを保護すべき根拠(幸福追求権)に立ち返るべきであるという主張をしている。
概要
個人情報をめぐる様々な問題をアメリカの事例を数多く取り上げて丹念に考察したうえで、日本のプライバシーを考えている。プライバシー権も日本国憲法には明示されていない用語であるが、現在では憲法第13条に基づいて十分に有効な権利となった。個人情報保護法の施行された現在、個人情報を数多く記録するデータベースの流出事件が起きているが、個人情報の保護と開示の必要性との関係でアメリカの学者の議論や裁判事例を検討しながら我が国が取るべき方向性に示唆を与えている。
構成
  • ○ はじめに
  • ○ 個人情報保護法の基本理念の誤解
  • ○ 米国におけるデータベースの保護
  • ○ 個人情報保護法とデータベースの理解
  • ○ サイバースペース上の犯罪情報や匿名言論
  • ○ 性犯罪者情報
  • ○ おわりに
提言等
データベース取引の現実を日本憲法学から検討する場合も、プライバシーを財産として理解することに対して慎重であるべきである。個人情報流布の弊害が過度に評価され、国民の共有すべき情報が流布されない。この現象は、個人情報保護の根底にある憲法を誤解し、高度情報化社会の便益と弊害の評価を誤っているからである。個人情報保護法が成立してまもない今、あえて新しい財産的構成を持ち込むことには慎重であるべきである。
高度情報化社会に誕生した新法を検討するのに際し、DRM(デジタル・ライト・マネージメント)の概念は有益である。現行法の予想しない問題が生じた場合、我々は司法の判例形成か、立法府の新法によって解決するかという選択肢を与えられる。マッキンタイア判決は、現実世界の匿名言論の根拠になっても、ネット上の匿名言論に盲目的な先例になることは難しい。憲法起草者は、現代の高度情報化社会を予想できるほど万能ではないという批判も可能である。他方、起草者が現代であれば、どのように解釈したか、という想定も可能である。いずれにせよ、若干の修正が必要となる。
個人情報保護法をどのように理解するべきなのか。個人情報保護法は、高度情報通信社会の進展に伴い、政府の基本理念を定め、個人情報取扱事業者の遵守すべき義務を掲げている(第1条)。この理念の没却を防ぐには法律の単なる文言解釈にとらわれることなく、憲法第13条の定める人格的自律の考えに立ち返って解釈するべきである。
研究課題
子どもの人権
論文名
児童虐待の未然防止
-子育ての楽しさを共有するために-
執筆者
兵庫教育大学大学院 教授 名須川 知子
緑ヶ丘保育園 主任保育士 戸田 潔子
趣旨
現在の子どもをめぐる様々な問題は、すべて子どもの人権を侵害される内容の問題であると言える。それは、極端な場合には「虐待」としてあらわれる。従って、本研究では、実際の子育て支援を保育園という地域の保育機関で実施することで、実際に親と子がどのように変容しているのか、事例をもとに検討している。保育園での対策が虐待という深刻な状況を未然に防ぐために意味をなすか、具体的な保育園での子育て支援の取り組みを検討し、子どもの人権の擁護における役割について論述している。
概要
実践現場である保育園を中心に収集した事例を分析し、考察している。子育て不安に陥る母親や家庭を支援し、虐待にいたるかも知れない環境に、改善する手だてを与えようとする、実践的な提案をしている。「相談への対応が虐待への予防的側面を多く担っている」という命題について、保育園での取り組み、地域社会における取り組みの中から、具体的実践例を例示して、事例分析をし、分類し、有効なる手だてを提示している。
構成
  • ○ はじめに
    • 子どもをめぐる状況
  • ○ 保育園の在園児における子育て支
    • 在園児の保護者に対する取り組み
    • 取り組みをとおしての子どもの育ちと親の状況
  • ○ 地域の未就園児の保護者に対する取り組み
    • 地域社会における子育て支援
    • 地域子育ての中での子どもと親の育ちの状況
  • ○ おわりに
提言等
わが国では、各機関、各地域での子育て支援の充実は徐々にはかられているが、それらを結ぶ線はまだ不十分である。例えば、スウェーデンでは、1974年に両親保険制度を制定し、男性も取得できる育児休業の収入補填や、育児期の労働時間短縮や、病児看護休暇が十分とれる制度があり、男性の子育ての権利と義務を含めた育児支援が打ち出されている。また、カナダでは1970年頃から子育て支援の必要性に目覚めた人々による「ファミリー・リソース・プログラム」と呼ばれる家族を支える人的・物的支援の原則が策定され、全国協会を結成し、子どもを含めた家族全体を支援する方策が実施されている。さらに、2002年には連邦政府保険省の援助で子育てに関連する諸機関や広範な関係者との協力体制がつくられ、「伝統的な児童福祉のあり方を変革し、予防的な方法と支援戦略によって子どもの幸せに貢献できる」活動が方向づけられている。これらの推進が虐待を未然に防ぐ力となることは明らかである。
わが国でも、養育者のニーズに応えることを主とした子育て支援という狭い枠内の課題としてではなく、基本的な子どもの人権を保障する保育への理解と子育てを楽しめるような具体的な援助を考えていくことが問われている。
研究課題
障害者の人権
論文名
障害者の社会参加を促進する就労支援施策
執筆者
兵庫教育大学大学院 修士課程在学 中川 芳美
趣旨
日本における障害者雇用促進施策を概観し、障害者の就労の現状について全国と兵庫県とを比較している。次に兵庫県において、積極的に就労支援を実践している施設の一つである障害者就業・生活支援センターを利用している、もしくは利用した障害者の就労事例の分析を通じて、今後「障害の有無に関わらず同じ社会の一員として人間として生きていくこと」ができる真の社会参加の実現を図るための有機的なネットワークに必要とされる要素を明らかにし、地域でのネットワークのあり方を検討している。
概要
障害者の就労の持つ意味は「単に収入を得る手段だけでなく、人が自らの可能性に挑戦しながら、社会の構成員として積極的に社会活動に参加しようとする」こと、また「憲法で保障された国民の基本的権利を具体的に確保し、実現していくこと」にある。障害者施策の基本理念はノーマライゼーションである。何が就労を阻んでいるか、勤務を継続させ、実体的な労働の実を挙げるにはどうしたらいいか、生き生きと働き、顔を輝かせて自らの生活を喜ぶにはどうしたらいいか、政治も地域も親も考えていかなければならない。生きる事への問題点は健常者も同じであり、共に歩む社会をめざして、どのように支援することができるのかを考える。
構成
  • ○ はじめ
  • ○ 障害者雇用施策の歴史的変遷
    • 日本における障害者雇用施策
    • 兵庫県における障害者雇用施策
  • ○ 障害者と就労
    • 障害者数と雇用率
    • 就労の形態
    • 別移行支援計画
    • 障害者就業・生活支援センターについて
  • ○ 事例に関する調査結果
    • 障害者就業・生活支援センター①について
    • 障害者就業・生活支援センター②について
    • 事例
  • ○ 障害者の就労と地域での啓発
    • 事例の総合考察 ~障害者の就労支援における人権保障~
    • 地域での啓発活動 ~就労と生活の両面から~
  • ○ おわりに
提言等
今後、更に障害者の雇用・就業を促進していくためには、労働関係機関だけでなく、保健福祉機関・施設や教育機関、団体等を含め幅広い支援機関が明確な役割分担をもとに、協力して障害者の支援を行うネットワークを地域で作っていくことが求められている。さらに多様な働く場を開発するには、一般就労場面からの対応に限らず、福祉的就労の場からも併行して取り組むことが必要である。双方向性をもった円滑な移行を可能とする体制を整えることは、障害者本人や保護者が、障害の特性を踏まえた固有の人生設計を立てる上で重要となる。
また、障害者就業・生活支援センターについては就業と生活とを一体的に支援し、障害者の職業生活における自立に関する成果が期待される場であるが、センターがある地域とない地域では、就労を希望する障害者への支援サービスに地域格差が大きく見られている。今後、指定箇所の増加とともに、十分なサービスの提供体制が整備されることが期待される。
障害者の職業生活を含む生活全体を安定して続けるためには、周囲の人からの「支え」が必要になる。誰もが住み慣れた地域での生活を続けるという「ノーマライゼーション」の理念の進展に伴う最大の支援資源は地域の人々の協力と言える。そこで、ある施設関係者が、地域をサッカーのフィールドに例えた。同じフィールド(地域)に、関係機関や地域の人びとが立って、それぞれに互いにパスを出し合う。そして、皆で出し合ったパスをゴールで待つ障害者に届けるのだという。この関係性の構築が現在地域で求められていると言えるのではないだろうか。
研究課題
日本の人権の歴史
論文名
ハンセン病隔離政策と学校教育
-新良田教室であったこと-
執筆者
兵庫県立山崎高等学校教諭 山田 栄
趣旨
岡山県立邑久高等学校新良田教室において“紙幣を窓ガラスに貼りつけて乾かす”行為があったのか否か、そしてあり得たのならどういう状況下であったのか、を明らかにする。
隔離政策が展開されていくなかで、さきの行為の背景と関連する事象について長島愛生園を中心に取り上げている。また、その状況はハンセン病療養所における学校教育・新良田教室で生じたもので、当時の教育関係者への聞き取りによって具体的にしている。
私たちもハンセン病あるいは隔離された療養所に対して、「宗教的な、迷信的な偏見」から完全に自由であり得ない。私たちが抱く“らい”に固着している偏見をたえず意識化して展開している。
概要
実態調査に基づく研究である。ハンセン病は明治6年にらい菌が発見され、感染症と判明したが、一般には遺伝するもの、天刑病として、本人はもとより家族親族までが差別を受ける歴史を持っていた。「らい予防法」で隔離された長島愛生園の実体を分析し、昭和30年開校し、昭和62年廃校となった岡山県立邑久高校新良田教室の教育を調べていくうち、そこで働く献身的な教師や諸団体の個人的な営為によって、該法を形骸化するまでになったと高く評価している。風化していく新良田教室の実体を聞き取りなどの調査で記録に留めている。
構成
  • ○ はじめに
  • ○ ハンセン病と隔離政策
    • 隔離政策の展開
    • 隔離政策のもたらしたもの
  • ○ 隔離政策と教育
    • 隔離政策のほころび
    • 療養所と教育
  • ○ 新良田教室であったこと
    • 新良田教室の位相
    • 聞き取り 検証
  • ○ おわりに
提言等
「新良田教室」における“紙幣を窓ガラスにはって、かわかす”行為の背景・聞き取りを通して、偏見と「消毒」のせめぎ合いを明らかにしてきた。ハンセン病に対してどうして「古くから根強い」偏見があるのか、ほんとうに有効な消毒は何なのか、などが私たちに提示されれば、もっと違った対応がとれたのではないか。検証会議の提言のとおり、「人権意識の啓発は、広汎に繰り返し継続することが必要である」。これまで展開してきたように歴史的検証は<偏見の融解>の糸口となり、人権意識や感覚を高めるために必要である。
「新良田教室」の教師や諸団体に支えられた、個人的な営為によって「らい予防法」を形骸化していく状況になっていたと考えられる。“隔離の壁”を越えるには、歴史的検証に加え、「人権問題は他人事や責任転嫁するのではなく自分自身の問題として捉えるという自覚」、いわば自覚的に〈偏見の融解〉を図るとともに、「一度形成された偏見は正しい知識を与えるだけでは払拭できない場合があり、人間的交流、共感を持つことが必要」である。
研究課題
先端的医療技術と患者の人権
論文名
先端的医療技術の臨床応用の際の虚偽情報の提供等と患者の人権侵害に関する一考察
執筆者
岡山大学大学院教授 粟屋 剛
趣旨
先端的医療技術をめぐる患者の人権侵害には消極的人権侵害と呼ぶことができるタイプと積極的人権侵害と呼ぶことができるタイプがある。積極的人権侵害にはさらに先端的医療技術の臨床応用の際に、技術的なミスによって引き起こされる人権侵害と先端的医療技術の臨床応用の際に、医療側からの虚偽情報の提供等によって引き起こされる人権侵害とがある。後者は、先端的医療技術の臨床応用の際に、医療側の故意または過失(不注意)によって、患者(側)に虚偽の情報が提供されたり、必要な情報(提供されるべき情報)が提供されなかったり、不十分な情報が提供されたりし、それによって患者(側)が判断を誤り、さらに、それによって死亡などの悪結果が発生する場合に発生する(している)人権侵害である。本研究では特にこのタイプの人権侵害について考察している。
概要
生命倫理学研究の立場から医師側から起こる人権侵害を考えたものである。ここでは主として虚偽情報の提供が起こす人権侵害事例を扱っている。元来患者は病気を治す医者を信頼し、医者も病気を治すことをもって目的としている。先端的医療技術の施療の場合、患者に正しい情報を提供しないまま、相手を実験台にする場合や業績作りや練習台にする場合がないわけではない。結果が成功すれば虚偽情報の提供も必要情報の不提供もお互いに人権侵害などを意識しないですむ場合が多い。死亡などの悪結果が生じた場合のみ、初めて気付くものである。このような事例を「ステルス型人権侵害」と名付けている。「医師や病院がおかしなことをするはずがないという考えは残念だが幻想である場合もありうる」とし、「信じるのは七割程度にしておく」べきと言い、「七信三疑の原則」を提案している。
構成
  • ○ はじめに
  • ○ 人権とは何か
  • ○ 虚偽情報の提供等の類型
  • ○ 虚偽情報の提供等の具体的ケース
  • ○ 虚偽情報の提供等は人権侵害か
  • ○ おわりに
提言等
現実に、虚偽情報の提供や必要情報の不提供等を察知した場合はどうするか。もちろん、法的対処が可能であればそれも選択肢の一つになる。すなわち、民事、刑事の法的手段に訴えることができる場合や行政の力を借りることができる場合には、それらが選択肢になる。法的対処が可能でない場合、当該医師ないし医療機関に、堂々と、ただし、冷静に(ヒステリックにならずに)、正確な情報の提供を求めるべきである。そうすることによって医療側に、「この患者にはいい加減なことはできない」という意識を持たせることができる。また、このような人権侵害一般をなくすにはどうすればよいだろうか。まずは一般論として、医療側と患者側の双方が、このような虚偽情報の提供や必要情報の不提供等自体が人権侵害を構成するものであるという認識を持つことが必要であろう。そのためには医療者への啓蒙活動や患者(側)の意識改革が必要となる。さらには、患者の権利法や人権擁護法などの法の整備も検討されるべきである。また、被験者としての患者への人権侵害については被験者保護法が検討されるべきである。他に、国家レベルの、さらには国際レベルの、医療に特化した人権侵害監視機関の設置も検討されてよいだろう。

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